スロービジネスメールマガジン

SBS/Cが発行するメールマガジンのバックナンバー

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<違和感>
大学を卒業したころは、まだバブルで、就職は学生にとって売り手市場だった。
まわりの同級生は、条件のよりよい大企業に入りたいと、たくさん試験を受け
ていた。私はそういう雰囲気になじめず、自分が大企業で働いているところも
うまく想像できず、学生のときからバイトしていた社員3名の会社にそのまま
就職した。とくに興味がある分野の仕事でもなかった。一日中パソコンに向かっ
ている仕事だったが、対人関係に苦手意識を持っていたので、ちょうどよかっ
た。仕事はまじめにやればそれなりに、足をひっぱらない程度に、できた。

その小さい会社にも社員が少し増えて、6人ぐらいになったころ、会社の人
たちで町に晩ご飯を食べに行った。その道中、リアカーに段ボールを乗せて運
んでいるおじさんとすれ違った。それを見て社長が「みんな、ああいうふうに
はならないようにがんばろう」と言った。ほかのみんなはそれを聞いて笑った。
私は笑えなかった。かといって何も言えなかった。ただ、心の中で、ここにずっ
と勤めたいとは思わないな、と、思い始めていた。

そのころ、会社は3年は勤めるべきだ、3年は勤めないと、何も得られない、
などと言われていて、同級生の友人も、納得いかないことがあっても「3年
は・・・」を合い言葉にがんばっていた。でも私は結局その後しばらくして1
年半経ったころ、その会社を辞めた。

<迷い>
そして、東京の実家から出て大阪に行って、住み込みで新聞配達の仕事をは
じめた。大阪に行ったのは、大学のときに知ったアレクサンダー・テクニーク
のサークルが、そのころ京都にあったので、そのワークショップなどに通いた
いというのがひとつの理由だったが、「それをやって何になる?」と言われそ
うで、そしてそう言われても答えられなそうだったので、言わなかった。

アレクサンダー・テクニークは、そのころ知っている人は珍しかったし、説明
したとしても、あやしげなもの、と思われるだけだと思った。自分自身、それ
を仕事にすることが可能だと考えもしなかった。

アレクサンダー・テクニークは、知人に薦められて、内容もわからないまま
ワークショップに参加したのが最初だった。すごくおだやかな、ほとんど何も
していないようなワークなのに、ワークされていると体がゆるんで、人前に立っ
ても自分が緊張しないで済んでいる瞬間があった。それがまず、驚きだったし、
ほかの人が、余計なベールがはがれて本来のその人らしさが存在感に現れる感
じがした。そういう場に立ち会えているのが幸せだった。

新聞配達は、自転車でやった。また団地担当だったので、5階まで何度もか
けあがってかけおりた。朝の新鮮な空気を吸いながら体を使って仕事をするの
が気持ちよかったし、若い仕事仲間と一緒にいるのも楽しかった。

また、橋本治さんが「これからのエネルギーは、人力だ」と、本に書いていた
のにも影響を受けていた(当時、農業をやっている若者の話などは、まだ聞い
たことがなかった)。ただ、物覚えの悪さとうっかり癖は改善せず、配り間違
いが多すぎて、9ヶ月でクビになってしまった。店長夫妻は、ご自身も大学生
の娘さんがいる、親切な人で、「大学も出てるんだし、若いんだから、ほかに
向いている仕事を探すほうが君のためになるよ」と言った。

それで東京に帰って、知り合いのつてで出版社や、デザイン事務所などでバ
イトをしたが、足をひっぱらないよう、失敗しないように、と、固くなってば
かりだった。今思うと、一緒に仕事をした興味深い人物たちともっと仲良くなっ
たらよかったのに、と思う。でもそのころは、そんな余裕がなく、自分を少し
でもまともで能力があるように見せようとして、そして失敗ばかりして、クビ
になってしまうのだった。自分は緊張しやすくて、明るく元気でもないし愛嬌
もないし、せめて使える能力が何かないと、と思っていたのだった。

そのあと、遺跡を発掘する調査会の事務兼発掘のアルバイトをやった。みん
な太陽の下で働いて、お昼にはお手製の味噌汁が出た。アウトドア好きの人が
多かったので、大したことない私のパソコンなどの能力を重宝に思ってもらえ
た。仕事仲間には、夏にはレースで休むカーレーサーや、画家など、「かたぎ」
じゃない人が多かった。ひさしぶりにクビにならないで続けられた仕事だった。

<学ぶ>
そんなとき、京都でのアレクサンダー・テクニークの教師養成コースの第2
期がはじまると聞いた。第1期には友人が入っていて、いろいろ話を聞かせて
もらっていた。私は、教師になれるかどうかはともかくとして、毎日、学校に
通ってみんなと一緒に集中して学べる環境に自分を置けたらどんなに幸せだろ
うかと思った。4年間のコースで1600時間の授業。夜と土曜日で週5日。大変
だが、親に相談して、お金を借りて、トレーニングコースに入ることになった。

アレクサンダー・テクニークの学校は学校といっても、講義形式でもないし、
カリキュラムもないし、遊んでいるようにしか思えないような授業が多かった。
ディレクターの先生はダンサーでもあって、体を動かして体験的に学んでいく
タイプの先生だった。

私は体を動かすこともけっして得意じゃなかった。学校の体育でやるチーム
スポーツでもいつもみんなの足をひっぱっていた。だけど、アレクサンダー・
テクニークの授業でやる体を動かすことは、「できる」「できない」が問われ
るのではないのだった。体を動かしたり、何かをやるなかで、どんな気づきが
あるかが大事で、そこには正しいかどうかも、上手い、下手もなかった。それ
に、ルールもあるようで、なくて、自分で思いついたことを即興で実践して、
そこからまた場の全体のテーマもふくらんでいったりした。これはとても新鮮
だった。

自分らしくそこにいることで、自分が場の中でかけがえがないのだな、とい
うことも、わかったし、また、自分はけして頭だけで生きているわけではなく、
すでに体を使っていろんなことに反応しているのだな、ということもわかった。
緊張することさえ、その場の状況に敏感に反応している、という生き生きとし
た動きのひとつなのだ。

アレクサンダー・テクニークは、西洋的な勉強とも違い、また東洋医学のよ
うに体系づけられていて覚えることがたくさんあるわけでもなく、とてもシン
プルな原理を使ってそれを現実に応用していくことなので、自分なりに工夫す
る余地が山ほどあるのが楽しかった。とにかく笑ったり泣いたり、疲れて横に
なったりしながら、日々の授業は進んだ。

昼間は大学の事務の契約職員として働き(バイト雑誌で見つけた仕事で、奇
跡的に受かった)夜と週末は学校に通った。

4年経って卒業目前のときに、ハプニングが起こった。ディレクターの先生
たちの都合で、トレーニングコースは突然閉鎖になったのだった。どうも、そ
こには先生たちの覇権争いみたいなことがあった。「君はどちらをサポートす
るのか?」というようなことを言われたりした。サポートしてほしいのは学生
の方なのに、と思ったけど、それは期待できない状況のようだった。

そんな中でも私たちは卒業でき、後輩たちには新しい形の学校ができた。た
だ、卒業したら一人でやっていかないといけないのだな、と思った。

そのときゲスト教師として、スイス人のR先生が来日していた。R先生に卒
業後の不安などを相談した。彼女は「FMアレクサンダーの本を読みなさい」
と言った。アレクサンダー・テクニークの創始者FMアレクサンダーの本は
100年ほど前に書かれていて、難解で、翻訳も出ていなかったが、ひとりだちす
るには少しづつでも原書を読むことが役に立つと言われた。

<広がり>
東京に帰って、「卒業したばかりです。アレクサンダー・テクニークのレッ
スンします」というお知らせを、メルマガなどに出した。いつも、「なに?ア
レクサンダー大王?」などと言われて、アレクサンダー・テクニークは何かの
説明からしないといけなかった。まあ、アレクサンダー・テクニークを言葉で
説明することの難しさは、今も変わらないが。

同時に、東京でアレクサンダー・テクニークの勉強をはじめていた人たちに
連絡をとって、そのなかのひとりに、「FMアレクサンダーの本を読みたいん
だけど、英語がむずかしくてひとりでは読めそうにないんだよね」と話した。
「じゃあ、一緒に読みますか?」と、英語が堪能な彼女は言ってくれた。のち
に公私共にパートナーとなるMさんだった。1999年のことなので12年前のこと。

東京に帰る少し前に、ウェブデザイナーのわくちんに出会った。彼女はまだ、
デザイン会社に勤めていたが、辞めて独立することを考えていた。当時、自分
のホームページを持っている人はまだ少なかった。メールアドレスだって、持っ
ていない人は多かった。でも、アレクサンダー・テクニークのような、知る人
ぞ知る、知る人しか知らないマニアックなものをやるには、ウェブサイトはよ
いかも?と思った。仕事のやり方も、お互い、試行錯誤だったが、そうやって
できたウェブサイトは、日本のアレクサンダー・テクニーク教師の最初のウェ
ブサイトになった。今に至るまで、何度かリニューアルして、しゃべるのが苦
手な私に代わって、サイトはフル稼働してくれている。

とにかく私は、アレクサンダー・テクニークを仕事にしていける自信は、な
かった。でもほかにやれることもなかったので、とりあえず、「できない」と
いうことがわかるまでは、やってみよう、と思った。

自分の能力にも自信がなかったが、アレクサンダー・テクニークは「能力」
でやるものではないらしい、ということが、学ぶうちにわかってきた。教師養
成コースでは「まず自分」ということを、口うるさいほどに言われる。相手を
助けたり、教えようとするのではなく、まず自分自身を助けて、自分自身が学
ぶ、そうしたら、そのプロセスは、体のレベル、考えのレベルで、生徒と共有
される。それは手を触れてハンズオンでワークするときも同じで、手で何かを
するのではなく、non-doing handを使って、私自身のun-doing processを、生
徒と共有する。自分自身が、緊張や、やりすぎを、少しづつ手放していくプロ
セスを、生徒と共有する。

つまり、「自信=自分を信じる」というより、起こるプロセスを信頼する、
ということが大事なのだ。自信は、べつになくてもいい。

また、卒業間際に出会ったある先生の教え方がすばらしかったのだが、「ど
うしてそんなにいろいろなことがわかるのですか?」と聞かれて、その先生は、
「みんな、生徒たちから学んだのよ!」と答えた。そうか、教師のほうが生徒
より知識や経験がなくてはいけない、ということはないのだ! 知識や経験を
大事にして、それにしがみついてしまうよりは、オープンマインドで、生徒か
ら学ぶ姿勢がある教師から、生徒は学ぶのだ。そのとき私は一生徒だったので
実感としてそれがよくわかった。そのときの先生はほんとうに生徒に耳を傾け
て、生徒の体験に寄り添ってくれていた。

今、これを書きながら思うのは、今、私は経験をそれなりに積んできて、そ
の経験にしがみついていないだろうか?ということだ。

そんなふうにして卒業して教え始めた。まずは一人、ふたりと教えて、だん
だん少しづつ人数が増えていった。少人数のワークショップも平行してやった。
人前で話すのに緊張するのは、基本的には変わっていないかもしれない。ただ、
パニックにならずに緊張していることができるようになったし、緊張してもそ
んなに体を固めずに済むようにはなった。だから、同じように緊張しやすいタ
イプの人がレッスンに来てくれたりするのは、うれしい。 そして、私は、人
と会うことはけして嫌いではないのだな、ということがわかってきた。興味が
あるからこそ緊張するのかもしれない。とくに、アレクサンダー・テクニーク
をやると、余計なものをまとっていない本質的なその人が現れやすくなる。そ
ういう瞬間に立ち会えるのが、とてもいい。

SBS6期冒険コースの中川洋美です。
エサレンマッサージとクレニオセイクラルというボディワークのサロン「ナンディルーム」を自宅でやっています。
「からだの声を聞く」というワークショップも月1回のペースでやっています。

私が今の仕事の基礎になる、エサレンマッサージの資格を取ったのは、子供が3歳の時でした。

それまでの自分はといえば、20歳のときに、インドと出会って以来、お金をためては長旅をするという繰り返しでした。

元々は、大学で油絵を学んでいて、「画家として食べていけたらいいなあ。。」という漠然とした想いがあったのですが、旅を始めてからはそんな情熱が少しづつ消えていき、今度は音楽!とばかりにインド音楽を学んでいたりもしたのですが、どうも途中でつらくなってくる。

自分にとっての天職を求めてはかなわず、なんとなく中途半端で、自分を生かし切っていないような「何とも繋がっていない」もやもや感がずっとありました。

30歳で、結婚をせずに、非婚で一人で子どもを産んで、生まれてから介護の仕事を始めました。
一応これでなんとか生活は成り立つものの、「なにか自分を生かすことをしたい。天職にめぐり合いたい!」という想いはどんどん強くなってきて、でもとっかかりがないというか、どこから手をつけたらいいか、分からなかったのです。

ただ漠然と「からだの事をやりたい」というのはありました。
なんでだろう?
魂の声だったのかなあ?
それまでの自分が興味をもったものが、「言葉ではなくからだで分かる」という感じとか、「相手に触れたり、触れられたりした時に何かが起こる感じ」に惹かれてたから自然にたどりついたのかなと思います。

その頃は、まだ小さかった子供にも手がかかるし、テレビもインターネットもケータイも持っていなかったので、情報を得るのも今より手がかかったし、日本にあまりいない時代が長かったので、どこに行けば情報が得られるのかもよく分からなかった。

でもその中から、自分のもとにやって来たのが「エサレンマッサージ」だったのです。
日本で一番古いプラクティショナーの人がやっているクラスに参加して、だんだん「もっと学びたい!」という気持ちが強くなって、エサレンマッサージの資格認定のコースに参加したいと思うようになりました。

資格認定のコースは合宿形式なので、お金もすごくたくさんかかるし、子供をどこに預かってもらおう??というのが大問題でした。

このハードルの前に立ち尽くし、「いつかもっと子供が大きくなってからにしよう」と自分で自分に言い聞かせるように、前に進みたいという気持ちを抑えていました。

その話をしたときに、「もっと子供が大きくなってからっていつなん?きっと何年たってもおんなじだと思うよ」と言ってくれた人がいます。
何を隠そう、マヤナッツの美保ちゃんなのですが、この言葉で、「そうだ、今、本当に学びたいという気持ちを大事にしよう!」と決心し、資格認定のコースに飛び込みました。

コースは、1,2部は、岩手花巻での合宿、3部はカリフォルニアのエサレン研究所で。という組み立てになっていて、福岡に住む両親に子供を預けるために東京→福岡→花巻→福岡→東京の往復、カリフォルニアに行くのもすごく大変でした。

お金もかかったし、息子はきっともっと大変だっただろうと思います。
でも無理をして、参加したこのコース、毎日学べる楽しさにうち震えていました。

時には難しかったのですが、それ以上に探求心を呼び起こすものでした。
「自分のからだを使って学ぶ」というのがやはり自分にはピタッときました。

これが、同じからだ系でももっとアカデミックにつくえに向かって講義を聞くというのだったら、そんな風には思わなかったかもしれません。
エサレンの先生たちは、みんなオープンで、親しみが持てる感じで、人間味にあふれていたということも大きいです。
そして、その人らしさを尊重してくれて「あなたの感じるようにやっていいんだよ」という自由さも、魅力の一つでした。

「学ぶ」と言う事の楽しさ、ワクワクする喜びを知ったのは、このコースを通してでした。
今まで学校の勉強は大嫌いだったのですが。。。。。。
「学ぶ」という事は、自分自身からかけ離れたことではなく、生活や、自分の在り方にも影響を及ぼすことであり、子供との関係、自分がどういう事に痛んでいるか?人とのコミュニケーションについてなど、さまざまな変化がありました。

そして、ボディワークという自分の天職(魂の仕事)に出会ってから、精神的にぐんっと楽になりました。
トレーニングを受けながら、「このセッションをやっていくんだ」という風に想いはぴたっと決まっていました。

資格をとって、自宅でセッションを始めてから、週4回だった介護の仕事を週3に減らしました。

今も、セッション週4、介護週3のペースで仕事を続けています。
休みの日は特に設けてませんが、基本夜は働かないし、セッションも一日2人までしかやらないし、お客さんの入らない日も結構あるし、いいペースで仕事ができているなと思います。
セッションのお客さんはそんなに多くないです。
ただ、継続的に受けてくれている人たちがいるので、なんとか成り立ってる感じです。

自宅なので、しかもあんまり広い家ではないのですが、子供が「今日はマッサージだから」と協力的なので助かっています。
お客さんも夕方息子が帰ってくると、「これがブログにのっているあのタシくんか!」と温かい目で見てくれます。

普通のサロンみたいにおしゃれじゃなく、駅からも徒歩25分、バスだと1時間に一本というへき地ですが、それでも来てくれる人がいるのはありがたいです。
最初のころは、「こんなんで来てくれるのかな・・・?」と不安でしたが、まあそこそこ来てくれているので、外側より中身で勝負だ!という感じでたいして工夫もなくやっています。

この仕事を続けていけるのだろうか・・・?ということは、あんまり考えたことはありません。
自分が探求心や、面白味を感じているので、精進していれば、もっといい治療ができるのだろうと思っているからです。
より効果的で深いセッションが出来ることが一番大切なことで、その他の経済的な事は2次的な事です。

介護の仕事で最低限の収入はあるし、都営住宅で家賃が安いので、なんとか生活出来てる感じです。
家賃が安いのは、すごいです!毎月出ていくお金が少なくてすむというのは大きいので、スロービジネスをやっているみなさんは、家賃を安くする工夫をすると、負担が小さくなりますよ!

子供が小さい頃は土日に予約が入ると、子供をシッターさんに預かってもらったり、それなりに大変でした。
子供の同級生のお母さんや、子供がいるお隣さんにシッターさんをお願いしたりして、子供同士で遊べる工夫をしてました。
今も泊まりのWSの時は、「誰に子供を見てもらうか?」のアレンジに苦労しています。
いつも子供が平和に楽しく過ごしてくれるよう、心の中で祈っているおかげ?で今のところ大きなトラブルはなくすんでいますが。
もう子供も11歳なので、あと数年でそういう苦労はなくなるのだろうと思っています。

私はできれば夜は家でゆっくり子供と過ごしたいです。
フツーにご飯を食べて、お風呂に入ってごろごろして。
そういう地味な普通の暮らしが一番好きだし、喜びを感じます。
普通の生活と、からだの仕事、時々学び+温泉・・・っていう今のライフスタイルに満たされています。
まあ、いつかは田舎暮らしをしたいのですが、いつになることやら・・・・。
「からだの声」を聞きながら(子供の声も聞きながら)プロセスを楽しんでいければいいな。