「深刻な、決定力不足・・・」。サッカー日本代表が敗れた試合の後に、よく使われるこの言葉。それは、3,11後の日本人の姿そのものを示す言葉でもあろう。何を、どうするか。決めきれない日本の人々。放射能を前に、そんな傾向が際立って見える。
だが、サッカーのゴールならいざ知らず、ことこの件については決定力不足のままでは許されない。子どもたちは待っているのだ。大人たちがどう生きるかを決めることを。
しかし、「自分で何かを決める」という経験に乏しく、何かを決めて生きる大人の数そのものが少ない現状において、そのハードルは高い。
こうした問題への解決に、近道はない。サッカー日本代表は、敗戦を重ねながらも少しずつゴールを決め、それを見て育った子どもたちが成長し、さらに強くなってきた。それと同様に、たとえどんなに少なくても、今、この局面で何かを決めて生きている、その人の実像と実動を通して、「自分で決めて生きていく」ための術を学んでいくしかないのだ。
今回、この企画で紹介するのは、風間理紗というひとりの女性が、放射能と向き合って「決めたこと」。関東に在住し、まだ20歳代の若いお母さんとして1歳の我が子とともに生きていくために「決めたこと」をお伝えする。
これからお届けする風間さんの原稿が、多くの決意なき日本人にとって、何かを自分で決めるための力になること。そのことを深く祈念して・・・。
(企画・編集 矢野宏和)
生き方を決める
3,11から始まる、揺らぎのなかで・・・
風間理紗
「311の後をどう生きるか。」この問いは、「この先自分はなんのために生きるのか?」という問いでもあります。この2ヶ月あまり、せまりくる放射能の見えない恐怖に苦しみ悩みながら、そのことを問い続けてきました。
1歳の息子と共に、今後ずっと放射能の見えない恐怖に立ち向かわなくてはならない母親の一人として、自分のいのちをこの先、なにに捧げるのか。個人的な一例ではありますが、私が悩み考え、決めるまでの軌跡が、今まさにこれからどうしていったらよいか悩む誰かのなにかの助けになればと思い、この原稿を書いています。
■ 放射能を前に、立ちすくむ
今思い返せばあの日から数週間はあまりの衝撃にどうしたらよいのかわからず、毎日泣いて暮らしていたように思います。すやすやと穏やかに眠る我が子を見ては、むじゃきに遊ぶ笑顔を見ては、胸に浮かぶのは「ごめんね」の一言。
原子力という危うい土台の上にあった暮らしの便利さ。それを享受し暮らしてきた私たちはそのツケを、次世代を担う子ども達にまで残してしまった。
胸いっぱいおいしい空気を吸い、水を飲み、お魚、お肉、お野菜をお腹いっぱい食べ、野山を駆け回り、川や海を泳ぐ・・・そんなあたり前を奪ってしまった。きらきらと輝く未来のステージを汚してしまった。
息子を前に悲しい顔ばかりもしていられない。こみ上げてくる涙を押さえ、努めて穏やかに絵本を読んだり歌ったりしてはいても、頭の中は様々な思いがぐるぐるとめぐっていました。

日々迫られる自己選択、自己判断、そして、その結果も受け入れる覚悟。どこで息をして、どこで水を飲み、なにを食べ、なにを生業にして、どんな暮らしをするのか。情報はたくさんあっても、あるのは数値だけ。それをどう読み取り、どう感じ、どう判断するのか。専門家の意見は参考にこそなれ、正解を教えてはくれない。ようするに自己責任。
しかし自分だけならまだしも、未来の子ども達に現れてしまった結果を、その時にはもうこの世にはいないかもしれない自分に責任がとれるのか。今、この時に下す決断はあまりにも重い。
■ 途方にくれながら、まず最初に取り組んだこと。
掃除、身の回りの整理整頓。
あの日の前日、土手の土筆がいっせいに芽をだしたのを見つけて笑っていた。大好きなハクモクレンがようやくその白いひらひらとした花びらをひろげたと喜んでいた。でも不思議と、あの日より前に戻りたいとは思いませんでした。いつかはこうなる危険をはらんでいたのに、それを容認し、恐れていたことが、たまたま今私の目の前で起こったにすぎないということが分かってたのでしょう。
これは今この世代で決着をつけなくてはいけないこと。原子力の途方も無い性質上、この世代だけで決着しきれる問題ではないが、それでも少なくともこれ以上悪化させずに、少しでもよい状況にして次世代へと繋げていかなくてはならない。そんな使命感のようなものだけはありました。
それでも、そのための一歩として、まずなにをしていったらよいのか、分かりません。どうにもこうにも起動してこない頭が再び動き出すまで、私の場合はひたすら身の回りの整理整頓と、掃除の徹底からはじめました。あの日以来、毎日かかさず床を拭いています。雑巾でふきふき、ふきふき。自らの垢を一拭き一拭き落とすように。すると、なにが大切で、何がなくてもよいのか。少しすっきりと考えることができるようになったようです。
■ 決めたこと・・その1。
自分にとって何が大切か。まずそれを決める。
放射能の身体への影響、1年間に1ミリシーベルトを基準に。
そんなふうに、大いに悩みながらも、関東に留まり生きることを決めました。今私たちがすべきは、家族みんなで力を合わせて、子どもが心身共に健康に育つためにできる限りを尽くすこと。
そのために、生活の場を移動するよりも、子どもが慣れ親しんだ土地に残り、両親祖父母みんなに見守られて育つことの大切さを選びました。そして放射能の身体への影響については、内部被曝も合わせておおよそ1年間に1ミリシーベルトを基準にすることに決めました。
その判断材料となる数値が本当に信頼に値するのか、本当にそれで大丈夫なのか、時折どうしようもなく不安になりながら、それが私が家族と出した答えでした。
■決めたこと・・その2。
西へ・・・決意と覚悟を決めるために、2週間を九州で過ごす。
あの日から3週間程が過ぎるころ、すでに放射能の危険を避けるため、西へ海外へと移動する友人の話をあちこちから聞くようになりました。私にもしばらくの間、安全な場所へ身を寄せたらどうかと声掛けもいただき、その度に大きく心が揺れました。
1週間の時間をかけて家族と相談し、そして次のことを決めました。家にこもりっきりにさせてしまっている子どもを、思いっきり外で遊ばせてあげる為。一度渦中から自らを離して改めてこれからのことを考える為。そして、自分の覚悟を決める為。約2週間の予定で九州の友人のところにお世話になる、と。
■ 九州の地で過ごした2週間
九州は、あかい木蓮がよく似合う。豊かな大地、清らかな水、温暖な気候、あたたかい人たち。九州に到着してからは、私たち親子をあたたかく迎えて下さった皆さんに支えられ、安心して外にでてゆっくり過ごせる幸せ、おもいっきり深呼吸できる幸せを噛み締めながら、暇さえあれば外へ散歩に出掛けていました。
なごりの桜吹雪の舞う中、毎日毎日、菜の花、木蓮、菫、チューリップを眺め、風の香りをかぎ、鳥たちの声に耳をすませながら遊び、そしてすやすやと気持ち良さそうに眠りにつく息子。
たくさん遊んでくれるやさしいお兄ちゃん達。1歳の共通語でおしゃべりし合える同い年の女の子。手作りの美味しいお料理を笑顔で作ってくださる奥様。そして、ひょっこり現れてはさりげなく細やかな気遣いをしてくださるご主人。きてよかった。と心から思いました。
と同時に、家族が一緒でないことで息子に寂しい思いをさせないように頑張らなくてはという思いも強くしました。いつもいるはずのパパがいない。いつも遊んでくれていたじいじやばあばがいない。電話で声が聞けても、家から持参した写真で顔が見られても、寂しくないわけはない。
でもそんな時、息子に向けられたみなさんのやさしい眼差しが、リビングに所狭しと揃えられた素敵な絵本たちからのメッセージが支えになってくれました。
■ 決めたこと・・・その3 はるかなる記憶
~幸せな記憶、愛の記憶を子どもたちへ繋げていく~
日々は穏やかに過ぎ、私は息子をお腹に宿していた頃のことを思い出していました。
それは2年前のちょうど今頃、ふくらみはじめたおなかを撫でながら、うとうとと「ひとはなんのために生きるのか。いのちをつなげるとはどういうことか?」。そんなことを考えていたとき。「記憶は繋がる。」そんな言葉が、突然どこからか下りてすっと腑に落ちてきたのです。
私の母も、そのまた母も、そのまた母もみんな、その時を精一杯生き、幸せな記憶も悲しい記憶もみんな合わせてその細胞一つ一つに刻み込み、そのいのちを私まで繋げてきてくれた。
記憶とは単に懐かしむ思い出ではなく、明日へとつながる活力なんだということ。だからこそ、幸せな記憶、愛し愛された記憶を一つでも多く子どもたちへ、その子と共に生きる仲間達へ、そしてその世の中へ刻み伝えること。それこそが幸せないのちを繋げるということなんだ、と。
そしてその記憶を子どもたちに繋いでいくことができるのは、今この一瞬一瞬なのだ。と。
■ そして、改めた決めた、「311の後、何を大切にして生きるか」。
2週間。すごく長くかったような、あっという間のような、そんな九州での日々を胸に、今家族の待つ関東に戻ってきて、あらためて「311の後をどう生きるか。」を決めました。
その答えはとてもシンプルでした。今日から今から、一つでも多く幸せな記憶を我が子へ、そして一人でも多くの子どもたちへ。自然の息吹と人のあたたかみに包まれゆったりとした時の流れる場所に人が集い、手を動かし思いを形にすることを通して、心と身体を、自然との絆を、家族や地域を、世代を超えた人と人、いのちといのちとを結い直す。
とはいえ、日々の生活の中で放射能のことが頭から離れることはありません。でも、もう一度立ち上がり、家族や友人たちと助け合い励まし合い、語り合い、共に涙したり笑い合ったりしながら、あの日の前よりもっと安心して暮らせる日常を一つ一つ静やかに、穏やかに、丁寧に、愛情をこめて手作りしていくことにこのいのちを燃やそう。
微笑みを浮かべながら。そしてそれを残らず全て子どもたちにささげよう。この場所で丁寧に結われた絆が生きた風となり、元気に走り回る未来の子どもたちをやさしくそっと見守り包んでくれている姿を夢見て。
そう。もう、切ないなんていっていられません。この一瞬こそがかけがえのない一瞬なのだから。今日から今から、一つでも多く幸せな記憶を。我が子へ、そして一人でも多くの子どもたちへ。
風間 理紗




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